私が出会った素敵な言葉 神様は平等に不平等
2024/02/02
人を羨ましがる事
~神様は平等に不平等~ 人は其々神様が授けた役割を持ってこの世に生まれる
少し前に私の好きな女性Abbyを紹介しました。その事に添えて日本のドラマで出会った言葉『神様は平等に不平等』という言葉について考えたいと思います。
この言葉に出会ったドラマの題名は忘れてしまったのですが、若い占い師の女性が悩んでいる人にお話しした言葉と記憶しています。聞いた時、何だか心臓のど真ん中に剣を差し込まれたようにスーッと心に入ってきました。この思いに立って自分を見直して見ると私もどの方も人を羨む心以上に自分が他人にとって羨ましいと思ってもらえる様な事があるのではないかと思いました。私は、Abbyを羨ましいと思っているし、取り分け彼女の様にもっと頭が良く生まれて来れたらよかったと思っています。でも、私は決してAbbyにはなれない。
江原 啓之さんは、人間の魂はそれぞれに役割を持って地上に降りて来るとおっしゃいます。その役割を果たすと天に召され、人間の場合は約70年の時を経てまた次の役割、前の役割より一段高い役割を持って地上に降りて来るのだとおっしゃいます。役割を果たして天に登った魂は、必ず少しずつ高い段階に向かっているとの事です。
私は、江原さんの本を一時読み続けましたが、自分の人生に当て始めてみると、人生の中であった色々な事が自然の流れの中にあった様な気がしました。多分、私には私の役割があって、人を羨んでもそれは私がこの世で果たす役割の目標とは違うのだと思います。私の中にも前世できちんと役割を果たして下さった方によって一段高い何かが備わっているのだと思うのです。神様が授けて下さった役割を果たすのに適当な場所や周囲の人間関係の中に生まれ、そこで自分の肉体に神様が与えて下さった能力を発揮しつつ成長していくのだと思っています。神様が手紙を添えて下さってこの世に生まれ落ちるわけではないので、果たす役割が何かは人生を歩みながら時には悩み苦しみ、人とぶつかり、失敗したり、成功したりしながら歩んでいくのだと思っています。
自分の人生の中でも、大学に入るまでは、何も考えずにただ進んできましたが、大学に入学後、悩んで一歩も進めない数年間があったり、進路を変えて受験したり、そこで再度関わる事になった方々や新たに生まれた人間関係など、自分にとってはなくてはならないものでした。進路を変えるための受験にしても、不合格だったり合格だったりする流れの中で、自分に来た波を引き寄せる様にその時はその結果で良かったのだと、振り返ってみると思う事ばかりでした。だから、『何故自分ばかりが・・・』と自分と比べてその人を羨ましがるのではなく、今何故自分がこの状況にあり、どの方向に進むべきなのかを考える事が大事なのではないでしょうか?今立っているその場所が、自分が進むべき道として神様が与えて下さっている。それを乗り越え、前に進む事が神様から与えられた課題です。私は、いろいろな病気にも罹りました。19歳の時は、肺炎・肋膜炎で1ヶ月入院しました。58歳の時は、右変形性股関節症で大腿骨頭置換術を受けました。その半年後に関節リウマチと診断され、寛解状態になる迄1年6ヶ月かかり、その状態にあっても、手首・肘・膝・足首の痛みは大したものではありませんが、消える事はありません。でも、一つ一つの経験の中で出会った医療従事者の方や同じ様な病気で通院されたり入院されている患者様、関連書籍etc.etc.。一つも無駄なものは無く、私なりの成長の糧になりました。“病気”と聞くとマイナスのイメージが最初に思い浮かびがちですが、決してそんな事はないと私は思います。どんな経験も先に進むための糧です。
神様は平等に不平等に話を戻しますが、ある方は、①と②を持って生まれる。自分は、③と④を持って生まれる。でも、①と②は持っていないのです。③と④を持っているのに、無い①と②を持っている人を羨ましがっていても仕方ありません。①と②を持っている方は、逆に③と④は持っていないのです。神様は、平等に不平等を与えています。其々の人が果たす役割が違うからです。自分の優れた部分、自分の特性を生かす生き方を人生の中で見つけて行く。それが幸せになるということでは無いかと私は思います。
今『何故私だけが・・・』と思っていらっしゃる方がこの記事をお読みになったら、是非今のご自身を取り巻く環境や状況を立ち止まってじっくり検討して頂き、次への一歩を歩み出して頂けたらと思います。
~神様は平等に不平等~ 人は其々神様が授けた役割を持ってこの世に生まれる
少し前に私の好きな女性Abbyを紹介しました。その事に添えて日本のドラマで出会った言葉『神様は平等に不平等』という言葉について考えたいと思います。
この言葉に出会ったドラマの題名は忘れてしまったのですが、若い占い師の女性が悩んでいる人にお話しした言葉と記憶しています。聞いた時、何だか心臓のど真ん中に剣を差し込まれたようにスーッと心に入ってきました。この思いに立って自分を見直して見ると私もどの方も人を羨む心以上に自分が他人にとって羨ましいと思ってもらえる様な事があるのではないかと思いました。私は、Abbyを羨ましいと思っているし、取り分け彼女の様にもっと頭が良く生まれて来れたらよかったと思っています。でも、私は決してAbbyにはなれない。
江原 啓之さんは、人間の魂はそれぞれに役割を持って地上に降りて来るとおっしゃいます。その役割を果たすと天に召され、人間の場合は約70年の時を経てまた次の役割、前の役割より一段高い役割を持って地上に降りて来るのだとおっしゃいます。役割を果たして天に登った魂は、必ず少しずつ高い段階に向かっているとの事です。
私は、江原さんの本を一時読み続けましたが、自分の人生に当て始めてみると、人生の中であった色々な事が自然の流れの中にあった様な気がしました。多分、私には私の役割があって、人を羨んでもそれは私がこの世で果たす役割の目標とは違うのだと思います。私の中にも前世できちんと役割を果たして下さった方によって一段高い何かが備わっているのだと思うのです。神様が授けて下さった役割を果たすのに適当な場所や周囲の人間関係の中に生まれ、そこで自分の肉体に神様が与えて下さった能力を発揮しつつ成長していくのだと思っています。神様が手紙を添えて下さってこの世に生まれ落ちるわけではないので、果たす役割が何かは人生を歩みながら時には悩み苦しみ、人とぶつかり、失敗したり、成功したりしながら歩んでいくのだと思っています。
自分の人生の中でも、大学に入るまでは、何も考えずにただ進んできましたが、大学に入学後、悩んで一歩も進めない数年間があったり、進路を変えて受験したり、そこで再度関わる事になった方々や新たに生まれた人間関係など、自分にとってはなくてはならないものでした。進路を変えるための受験にしても、不合格だったり合格だったりする流れの中で、自分に来た波を引き寄せる様にその時はその結果で良かったのだと、振り返ってみると思う事ばかりでした。だから、『何故自分ばかりが・・・』と自分と比べてその人を羨ましがるのではなく、今何故自分がこの状況にあり、どの方向に進むべきなのかを考える事が大事なのではないでしょうか?今立っているその場所が、自分が進むべき道として神様が与えて下さっている。それを乗り越え、前に進む事が神様から与えられた課題です。私は、いろいろな病気にも罹りました。19歳の時は、肺炎・肋膜炎で1ヶ月入院しました。58歳の時は、右変形性股関節症で大腿骨頭置換術を受けました。その半年後に関節リウマチと診断され、寛解状態になる迄1年6ヶ月かかり、その状態にあっても、手首・肘・膝・足首の痛みは大したものではありませんが、消える事はありません。でも、一つ一つの経験の中で出会った医療従事者の方や同じ様な病気で通院されたり入院されている患者様、関連書籍etc.etc.。一つも無駄なものは無く、私なりの成長の糧になりました。“病気”と聞くとマイナスのイメージが最初に思い浮かびがちですが、決してそんな事はないと私は思います。どんな経験も先に進むための糧です。
神様は平等に不平等に話を戻しますが、ある方は、①と②を持って生まれる。自分は、③と④を持って生まれる。でも、①と②は持っていないのです。③と④を持っているのに、無い①と②を持っている人を羨ましがっていても仕方ありません。①と②を持っている方は、逆に③と④は持っていないのです。神様は、平等に不平等を与えています。其々の人が果たす役割が違うからです。自分の優れた部分、自分の特性を生かす生き方を人生の中で見つけて行く。それが幸せになるということでは無いかと私は思います。
今『何故私だけが・・・』と思っていらっしゃる方がこの記事をお読みになったら、是非今のご自身を取り巻く環境や状況を立ち止まってじっくり検討して頂き、次への一歩を歩み出して頂けたらと思います。