元東宮侍従 浜尾 実氏の“殿下とともに” から2
2025/03/11
~一つの過程を修了した事を証明する“修了証書” に見える優しい人間関係~
~私は、父に学ばせてもらった事への感謝の気持ちを伝えていなかったと思います。~
私は、少し長く学生生活を送りました。大学卒業後専門学校に入学し、3年勉強。資格取得後、5年間働きました。その後受験し、さらに6年間の学生生活を送りました。最後の卒業は、36歳の時です。幼稚園から数えると7枚の修了証書を手にした事になります。ごく稀に開いてみる事はありますが、筒やバインダーに収められ、段ボールに入れて棚に収納してあるだけで、大切に保管しているとは言い難い状況です。
“殿下とともに”の第一章の部分に天皇陛下の修了証書に関する記載がありました。このお話も本当に心温まるお話だったので、私の思いも加えて紹介したいと思います。修了証書は、幼稚園の時と初等科の卒業時のお話でした。天皇陛下が幼稚園をご卒業の時には、浜尾氏はご養育掛りとして任務についていらっしゃる時でした。本来ならば、卒園式に参列するはずだったのに、浜尾氏は3日前に盲腸炎の手術をされ、病院のベッドに横たわっていなければならない状況で、式には出席出来ませんでした。天皇陛下の晴れの舞台を拝見出来ない不甲斐なさに忸怩たる思いだったと述べられています。そんな思いを察せられたかの様に天皇陛下は、卒園式の後浜尾氏の病室を訪ねられました。浜尾氏は、おそらく上皇様・上皇后様のお心尽しだったに違いないと述べています。天皇陛下は、幼稚園の制服姿のまま、修了証書と小さな花束を両手に抱えて病室を訪問され、元気一杯におっしゃったそうです。『オーちゃん、ぼく卒業したんだよ!』と。その時浮かべられた子どもならではの満面の笑み。真のプリンス・スマイルは、少年のような無垢な心と優しさから生まれるもので、今の天皇陛下の浮かべる笑みにも刻まれている・・・と書かれていました。
もう一枚の修了証書は、初等科卒業時の事です。この時浜尾氏は、既にご養育掛りとしての任務を退いていらした時なのですが、末のお嬢様が天皇陛下の同級生であった事もあり、父母席から天皇陛下のお姿を見ておられた様です。天皇陛下は、前髪を少し額に垂らし、キリッとした顔つきで卒業証書を受け取られ、学習院独特の詰め襟の制服姿は凛々しく、着実に歩んでいる自信を感じるお姿だったと述べられていました。浜尾氏は、そのお姿を拝見出来ただけで十二分に満足をされました。しかし、その夕方、侍従から電話で天皇陛下が訪問希望されているとの連絡を頂き、外出予定を後にずらし、待つ事にされました。電話を切った時には、もう既に天皇陛下を乗せた車は、浜尾氏の玄関前に到着していたそうです。
天皇陛下は、卒業証書の入った筒から卒業証書を取り出し、『ほら、浜尾さん、卒業証書だよ。』とニッコリ微笑みながら無事卒業した報告をなさいました。浜尾氏の呼び方は、オーちゃんから浜尾さん。着実に成長した姿をお示しになりながら、その時の笑顔は幼稚園卒園時と変わらぬ真のプリンス・スマイル。今回は、きっと上皇様・上皇后様のお心尽しではなく、天皇陛下が自ら“卒業証書を見せたい方”と思われて足を運ばれたに違いありません。その光景を思い浮かべるだけで心が温かくなります。
私は、何枚もの卒業証書を手にしましたが、父に『無事卒業しました。』と報告し、卒業証書を見せた事はなかったように思います。最後の卒業後は、資格試験も通り、その免許証も卒業証書のような立派は紙で手渡されるのですが、私は平日に仕事場から地元に帰るのが難しく、家族に受け取ってもらう様にお願いしました。いつもはこんな雑用は、母に任せっ放しの父であった筈なのに、その時は父が地元の区役所に出向いて受け取ってくれました。時間を作って実家に取りに行った時には、父が『取ってきておいたぞ!渡される時“おめでとうございます。”と言ってくれた。』と話してくれました。その時も、私は父への感謝の気持ちをきちんと伝えられなかった様に思います。本当に、親不孝な娘でした。
天皇陛下と浜尾氏は、10年の年月の中でお互いの気持ちを“慮る”事を色々な事象の中で築き上げてこられたんだと思います。本当に自然体で、相手の気持ちを慮り、行動に移される。卒業証書という1枚の紙で、そこにこんなに心温まるお話がある事は、本当に素敵な事だと思います。私の父は既に亡くなり、卒業証書にまつわるお話を父とする事はもう出来ませんが、どんなに我儘でも勉強をさせてくれた父への感謝の気持ちは忘れないでいたいと思います。
そして何より、天皇陛下と浜尾氏の互いに慮る気持ちを、心にとどめておきたいと思っているバーバでした。
~私は、父に学ばせてもらった事への感謝の気持ちを伝えていなかったと思います。~
私は、少し長く学生生活を送りました。大学卒業後専門学校に入学し、3年勉強。資格取得後、5年間働きました。その後受験し、さらに6年間の学生生活を送りました。最後の卒業は、36歳の時です。幼稚園から数えると7枚の修了証書を手にした事になります。ごく稀に開いてみる事はありますが、筒やバインダーに収められ、段ボールに入れて棚に収納してあるだけで、大切に保管しているとは言い難い状況です。
“殿下とともに”の第一章の部分に天皇陛下の修了証書に関する記載がありました。このお話も本当に心温まるお話だったので、私の思いも加えて紹介したいと思います。修了証書は、幼稚園の時と初等科の卒業時のお話でした。天皇陛下が幼稚園をご卒業の時には、浜尾氏はご養育掛りとして任務についていらっしゃる時でした。本来ならば、卒園式に参列するはずだったのに、浜尾氏は3日前に盲腸炎の手術をされ、病院のベッドに横たわっていなければならない状況で、式には出席出来ませんでした。天皇陛下の晴れの舞台を拝見出来ない不甲斐なさに忸怩たる思いだったと述べられています。そんな思いを察せられたかの様に天皇陛下は、卒園式の後浜尾氏の病室を訪ねられました。浜尾氏は、おそらく上皇様・上皇后様のお心尽しだったに違いないと述べています。天皇陛下は、幼稚園の制服姿のまま、修了証書と小さな花束を両手に抱えて病室を訪問され、元気一杯におっしゃったそうです。『オーちゃん、ぼく卒業したんだよ!』と。その時浮かべられた子どもならではの満面の笑み。真のプリンス・スマイルは、少年のような無垢な心と優しさから生まれるもので、今の天皇陛下の浮かべる笑みにも刻まれている・・・と書かれていました。
もう一枚の修了証書は、初等科卒業時の事です。この時浜尾氏は、既にご養育掛りとしての任務を退いていらした時なのですが、末のお嬢様が天皇陛下の同級生であった事もあり、父母席から天皇陛下のお姿を見ておられた様です。天皇陛下は、前髪を少し額に垂らし、キリッとした顔つきで卒業証書を受け取られ、学習院独特の詰め襟の制服姿は凛々しく、着実に歩んでいる自信を感じるお姿だったと述べられていました。浜尾氏は、そのお姿を拝見出来ただけで十二分に満足をされました。しかし、その夕方、侍従から電話で天皇陛下が訪問希望されているとの連絡を頂き、外出予定を後にずらし、待つ事にされました。電話を切った時には、もう既に天皇陛下を乗せた車は、浜尾氏の玄関前に到着していたそうです。
天皇陛下は、卒業証書の入った筒から卒業証書を取り出し、『ほら、浜尾さん、卒業証書だよ。』とニッコリ微笑みながら無事卒業した報告をなさいました。浜尾氏の呼び方は、オーちゃんから浜尾さん。着実に成長した姿をお示しになりながら、その時の笑顔は幼稚園卒園時と変わらぬ真のプリンス・スマイル。今回は、きっと上皇様・上皇后様のお心尽しではなく、天皇陛下が自ら“卒業証書を見せたい方”と思われて足を運ばれたに違いありません。その光景を思い浮かべるだけで心が温かくなります。
私は、何枚もの卒業証書を手にしましたが、父に『無事卒業しました。』と報告し、卒業証書を見せた事はなかったように思います。最後の卒業後は、資格試験も通り、その免許証も卒業証書のような立派は紙で手渡されるのですが、私は平日に仕事場から地元に帰るのが難しく、家族に受け取ってもらう様にお願いしました。いつもはこんな雑用は、母に任せっ放しの父であった筈なのに、その時は父が地元の区役所に出向いて受け取ってくれました。時間を作って実家に取りに行った時には、父が『取ってきておいたぞ!渡される時“おめでとうございます。”と言ってくれた。』と話してくれました。その時も、私は父への感謝の気持ちをきちんと伝えられなかった様に思います。本当に、親不孝な娘でした。
天皇陛下と浜尾氏は、10年の年月の中でお互いの気持ちを“慮る”事を色々な事象の中で築き上げてこられたんだと思います。本当に自然体で、相手の気持ちを慮り、行動に移される。卒業証書という1枚の紙で、そこにこんなに心温まるお話がある事は、本当に素敵な事だと思います。私の父は既に亡くなり、卒業証書にまつわるお話を父とする事はもう出来ませんが、どんなに我儘でも勉強をさせてくれた父への感謝の気持ちは忘れないでいたいと思います。
そして何より、天皇陛下と浜尾氏の互いに慮る気持ちを、心にとどめておきたいと思っているバーバでした。