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元東宮侍従 浜尾 実氏の“殿下とともに” から10 国民と苦楽を共にする事への浜尾氏のメッセージ           

2025/04/01

         ~『国民と苦楽を共にする』のお言葉に浜尾氏が上皇様に寄せた8枚の便箋のメッセージ~
         ~お言葉を実践することの難しさと寄せられたメッセージへの感謝の思い~
 浜尾氏の“殿下と共に”終盤で新世代の皇室の章に便箋8枚のメッセージに関する事が書かれています。上皇様・天皇陛下が折りに触れておっしゃる『国民と苦楽を共にする』の言葉に関する浜尾氏の考えが述べられています。その言葉は、素晴らしいお言葉であり、お考えであるとしながら、お言葉が行動に現れているかという疑問が投げ掛けられていました。
 その例として、1985年(S60年)8月12日の群馬県の御巣鷹山に日航機が墜落した大事故の事が挙げられています。浜尾氏は、事故当日、上皇様・上皇后様は軽井沢で静養中で、事故現場は目と鼻の先。ヘリコプターなら15分~20分位で着く距離。ご公務でなくご静養中だった事を考えれば、現地を訪れる時間はあったのではないかという考えを述べられていました。どんな服装であっても構わない、現地に駆けつけ、遺族の方々、徹夜で救出作業や捜索に当たっている人々に是非お声を掛けて頂きたかったと述べられています。当日が叶わなければ、数日後でも訪問して頂きたかった、登山好きの殿下にも後になって御巣鷹山に登り、花束をたむけて頂きたかったと、その時の残念な思いが書かれていました。浜尾氏は、現地訪問は、警備上の問題から宮内庁や警察は難色を示し、『前例がない』とのはねつけはあるかもしれないけれど、そこで前例を作ってしまう事が必要だったのではないかとも述べられています。前例を覆してでもという上皇様の熱意が今一つ不足されていたのではないか、『それでも現地に向かう。』のお言葉があれば、宮内庁も従わざるをえなかったのでは・・・と述べています。
 元号が昭和から平成に変わって日の浅い頃、浜尾氏は上皇様に一通のお手紙をしたため、送られたそうです。何と便箋8枚にのぼる手紙です。『災害現場にも是非積極的にお出掛け下さい。』というメッセージを上皇様にお伝えし、もっと国民の“苦”を感じ取って頂き、それを分かち合って頂きたいという思いをお手紙されたそうです。上皇様は目を通され、侍従を通じて電話で浜尾氏へのお礼のメッセージが届いたそうです。そして、1年後の殿下の誕生日に招かれた時には、直接上皇様から『浜尾さん、この前の手紙、ありがとう。』とお声を掛けて下さったとありました。さらに、1991年の雲仙・普賢岳の大火砕流の時には、被害者のお見舞いに出掛けられ、行動に移されていらっしゃいます。7月の暑さの中、ノーネクタイでワイシャツの袖を捲り上げたお支度で、被害者の方々と膝を突き合わせるようにして、励ましのお言葉を掛けられていらっしゃいました。上皇后様も同行された事は言うまでもありません。上皇様は『地元の負担を大きくしないように』と極簡素なご訪問ではあったけれど、前例をおつくりになられました。
 浜尾氏は、自身からの手紙のあるなしに関わらず、上皇様・上皇后様は皇室と国民の関係のあり方を熟慮されていたと推測されています。上皇様・上皇后様の心の中には、『それでも行く。』の思いがあったから宮内庁の危惧を押し切っても腰をお上げになる結果になったのではないかとも述べられています。
 私は、この事に関してはもう一つ大きな壁があったから実現できなかったのではないかと思います。御巣鷹山への日航機の墜落事故は、元号が昭和でした。たとえ上皇様・上皇后様が軽井沢でそのニュースをお聞きになって、現地に向かいたいとおっしゃっても、昭和天皇とお支えする方々によって『前例がない。』の一喝で退けられる事だったのではないかと思います。上皇様・上皇后様にお気持ちがあっても実現は大変困難だったのではないかと思います。その証明として、元号が平成に変わった1991年の雲仙・普賢岳の大火砕流の時には、被害者のお見舞いに出掛けられ、行動に移されていらっしゃいます。前例をお作りになったのです。ご自身の時代になって初めて思いを遂げられ、高いハードルを越えられたのだと私は思います。
 今の日本は間を短くして度々の大災害に見舞われています。その都度、皇室の方々も現地に向かって下さっています。現地で心が救われた方は本当に沢山いらっしゃって、被害に遭われた方々の心の支えになっていると思います。東北の大震災の時の被災地のご訪問の時の放送は、本当に印象的でした。被災されたある男性が語った言葉です。『皇室が来たからって何だって言うんだ!』と避難場所で上皇様・上皇后様の歩まれている場所に背を向けて座っていらしたようです。そこへ上皇后様が自ら歩まれて、『貴方は、大丈夫ですか?』と声を掛けられたそうです。振り返り、ご自身の状況を語りながら、固くなっていた心が氷が溶けるように優しく、暖かくなって行ったのだと思います。上皇后様の優しい眼差しを受けながら『日本のお母さん!』と思いましたと話されました。訪問から少し時間が経った時のインタビューでしたが、男は泣けない!と思いながらその時を思い出して感極まって涙声だったように見てとれました。会話は、ほんの短い時間ではあったと思うのです。でも、上皇后様の優しさのオーラは、固くなった男性の心をそのまま包みました。
 浜尾氏は、時間が経っても是非殿下に御巣鷹山の慰霊登山に向かって頂きたいと言葉を遺されています。私の記憶では、まだ実現出来ていないのではないでしょうか?私も浜尾氏の意見に大賛成です。ご家族全員で是非時間が経ってからでも訪れて頂ければと思います。ご公務は本当に多忙でいらっしゃる天皇・皇后両陛下と愛子様でいらっしゃいますが、天国で見守っている浜尾氏に見せて差し上げて下さったらと思います。
 浜尾氏は、2006年10月25日に永眠されていらっしゃいます。私もそんなに遠い将来でなく、その時が来ると思うのですが、その時には身分も学歴も足元にも及ばない私ですが、元号にまつわる『前例を作る』ことの難しさをお話し出来たら嬉しいなぁ・・・と余りに自分勝手に思っているバーバでした。

 

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