育児支援・ひとり親支援・動物愛護活動支援など、元小児科医の経歴を活かし様々なボランティア活動を行います。お気軽にご相談ください。

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私が考えるいじめの解決方法に大切な事 3 甥へのいじめ 4

 ~中学卒業間際に、後ろの席からナイフで制服の背中を切りました。~          そこから社会人になるまでの甥の生活を振り返ってみたいと思います。           

 いじめる相手との付き合いも断てない中、中3になり、受験も終わり、卒業式がもうまもなくに迫った時のお話です。いつも背中を丸くして座る甥は、背中に何か真っ直ぐに縦に走る違和感を感じた様です。振り返ると、いじめる相手がカッターナイフを持っていました。不気味な笑いを浮かべているその子を見て『何かされた。』と気付きました。制服の正中の縫い目の直ぐ傍をカッターナイフで切ったのです。担任にその場で、その事を話に行ったのかは私は聞いていません。家に戻ってから、寒い冬空の中、制服を脱いで帰ってきた甥は、母親にその事を伝え、制服を見せました。かなりの長さを切られていた様です。

 母親も甥も何より先ず、卒業式に着て行く制服をどうしたら良いかに戸惑いました。事実確認を学校側とするでも無く、切ったいじめの相手や母親を問い正すのでもなく、制服を扱っている洋服店に駆け込んだのです。『もう、新しい物を購入するのは勿体無いし、なんとかなりますか?』と聞きに行った様です。とても親切で良い方で、『息子さんは痩せているから幅を詰める事が可能なので、綺麗に直してやるから、待ってな!』と言って下さったそうです。後日、綺麗に直された制服が戻って来ました。私はそれを見て、『切った相手にはなんと言ったの?』と質問しました。母親は、『傷を負ったり、死んだりしたら困るから、刃物だけはやめてくれ。と言って来た。』と言っていました。担任の先生から、母親に説明も謝罪もありませんでした。その事実を担任が知っていたかも分かりませんでした。幸い、選んだ高校は違ったので、とにかくこれで縁は切れる・・・と言う思いで、卒業式を待ち侘びている様でした。

 高校に進学後も同じ様な友達に出会う結果になりました。ご両親がお仕事をされて、夜まで一人で過ごす子だった様です。ある日、家に来ました。甥は、大事にしていた鉄道のミニ四駆を見せた様です。いつか、150cm×200cmのプレートの上に山や川や線路やトンネルを作って、走らせるのが夢だった様です。事実、その当時制作にも入っていました。車体を収納出来るバインダーを開いて色々な車種を見せていた様です。友達に『かっこよく改造して来てやるから、ちょっと貸してくんない。』と言われた様です。気乗りがしなかったのに、断れませんでした。先頭車両の幾つかを持ち帰ってしまった様です。甥は、大切にしていた物だし、これからの構想を持って取り組んでもいたので、出来るだけ早く返して欲しかった様です。学校でも催促する毎日で、その都度『もう少し、もう少し。』と言われ続けた様です。甥は、ひどい事になっているのではないかと思い、待てなくなって、その子の自宅を訪ねました。中にいるのに出て来ないその子にキレて、玄関先で暴れまくってしまった様です。たまたま仕事がお休みで自宅にいらしたお母様が驚かれて、私の姉に連絡が入り、事情を確認して、お母様がその子に尋ね、何台かはその場で返してもらい、数台は改造して売りに出してしまったらしく、手元に戻って来ませんでした。戻って来た物も一部が改造されていて、元の姿ではなかった様です。手元に戻らなかった物の元値の代金は、先方のお母様が返金を申し出てくれた様です。どの様な交渉が成立したか、詳細は聞きませんでした。甥にとっては、返金のお金では戻って来ない“何か”を失ってしまったんだと思います。結局、鉄道ミニ四駆の構想は途中で挫折してしまいました。

 この一件で、その子との付き合いは終わってしまった様です。そして、高校時代を通じて何かを一緒に楽しんだり、喫茶店やファストフード店で駄弁って楽しむ高校生達が良くやっている事を楽しむ事もなかったようです。学生生活にもなんの魅力も感じてはいなかったので、大学進学はしたくないと言っていました。でも、私は甥に『大学って、1年の半分はお休みなんだよ。その時間を使って、国内や海外を旅して今のうちに沢山遊んで、学んだら良いよ。社会人になったら出来ないよ。』と大学進学を進めました。『そうかなぁ?』と思いつつ、三流ですが、推薦入試で合格し、大学進学する事になりました。卒業式で姉は甥に『この学校で楽しかった?』と聞きました。甥は、『中学よりは楽しかった。』と答えたそうです。卒業式から帰宅した姉は、私にため息混じりで話してくれました。本当に中学生時代の毎日は、その頃姉が想像したより、甥にとっては辛い中学生活だった事を知り、十分理解していなかった事がなんとも切なかったようです。

 大学時代の甥は、大学生活を楽しむというよりは、自営の店をほぼ毎日((土)(日)も関係なく)学校を終えた後に手伝っていました。甥自身は、商売が好きだったので、決して苦痛ではなかったと思いますが、楽しい学生生活にはならなかったのではないかと思います。サークルにも入らなかったし、特定の仲の良い友達と旅行やイベントに出掛けて来たという話も聞くことはできませんでした。甥は、アルバイト代ももらわずに仕事を続けました。『アルバイト代はどうしているの?』の私の質問に、甥は『特にもらっていない。』と言うし、私の父や一緒に経営に携わっている叔父も『いつか自分のものなんだから、それで良い。』と言って、取り合いませんでした。

 大学に通いながら、自身の生活費や友好費のために働いている学生さん達は沢山いらっしゃいます。時には、勉強より働いている時間の方が多い方もいらっしゃるのではないでしょうか?だから甥が特に大変だったと思っているわけではありません。でも、殆どの方は、自分が自身の生活をどの様に過ごしていくか?と言う生活設計の中で選んで仕事をし、報酬を受け、それを自分の思う形で利用し役立てていらっしゃるのだと思います。甥は、『将来は自分のものだ。』と思っていたのでしょうか?私には、母親に継ぐ事が貴方の将来・・・と導かれ、父や叔父もそうなる事を望んでいた・・・だけなんじゃないんでしょうか?自分の意志がきちんとあったとは私には思えませんでした。

 私ならどうしていたんでしょうか?私は次女として生まれたので、『いつかは嫁に行く子』と言うスタンスで育てられました。だから将来の規制を何一つ持たずに今に至りました。そして、自分自身で自分の生き方を選んで来ました。幸せな事だと思います。でも選んだ以上は、自分自身で責任を持って取り組んで来た人生だったとも思います。甥の生き方には、“自分”がありませんでした。その為に、将来約束されていたであろうという環境が無くなり、形が変わってしまった時に対応出来なかったんです。そして、設定されていた様にならなかった人生と、そこに関わった人全てを恨む様になってしまった。『何で自分だけが・・・』と思う様になってしまいました。今の環境も私から見たら十分幸せです。生きて行く事にも何の問題もありません。けれど、その自分の今持っている幸せ度が見つけられない。今持っている幸せをどう自分は自分の人生に役立てていけば良いか?考えられない。『生きていても幸せじゃない。』といつも言います。人が『君は恵まれているよ。』と言うと反発し、『どこがだよ。』と言って、どういうところが恵まれていると思われているのかさえ振り返ってみない。そう言った人を嫌い、拒絶してしまう様になりました。心に硬い殻を被ってしまったんです。

 確かに甥は、学生時代に沢山の辛い出来事に遭遇しました。そして、信じて歩いて来た道も自分が考えていたのとは違う方向に流れを変えてしまいました。でも、だから幸せではないのでしょうか?辛い事が起こった時も、洋服屋さんのように助けてくれる人にも出会えました。全てが不幸な出来事ではなかったと思うのです。きちんと一つ一つを起こったその場で立ち止まって考えず、うやむやにして進んでしまった事が最も問題であると思います。甥の不幸は、そうした振り返りによって、起こった事象の捉え方一つで、思いが変えられる事の様に私は感じています。

 前にも書いた事があるのですが、『神様は、平等に不平等。』『神様は、超えられない課題を人に与えない。』という思いに立って考えれば、今の甥の思いは変えられるのではないか・・・と思い続けているバーバでした。

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